NPO法人霞ヶ浦アカデミーの会報「海夫通信」52号を2026年5月に発行しました。

2008年の設立から発行しており、今回で52号となりました。以下にコンテンツの一部を紹介いたします。詳細はリンクのPDFファイルをご覧ください(画像をクリック!

霞ヶ浦北浦 歴史的不漁の謎を解く その6(浜田篤信)

内湾だった霞ヶ浦が湖沼への歩みを始めた1654年から現在の平地ダムに至る漁業の歴史をたどりながら、なぜ、現在の「歴史的不漁の時代」を迎えたかをみてきました。

江戸時代の漁獲量についてはふれていませんでしたが、玉里御留川請負運上金(玉里古文書調査研究会、会長池上和子)から3~6千トンの範囲、昭和30~40年頃と同程度ではなかったかと推察されます。

江戸時代にも水戸藩へ献上するコイが漁獲できなかったことや、漁業入札請負が不成立におわるなど、漁獲量が減少し、当時も苦労が多かったことがうかがわれます。

その原因は浅間山噴火による湖沼の閉塞状態や江戸幕府や関係諸藩による関連河川改修や干拓等の人間活動であったことは、これまでにも述べたとおりです。

霞ヶ浦の二十世紀

2024年の霞ヶ浦の漁獲量は352トンで、これは江戸時代初頭から現在にいたる過去400年の中の最低値です。まさに歴史的不漁の時代にあるわけですが、江戸時代の舟運の時代に対して、20世紀の霞ヶ浦は前半の治水、後半の利水に二分され、漁業は視界の外に置かれています。

オランダからの専門家を招聘して本格的な河川事業が始まった頃の閉塞状態にあった時代でさえ約二千トンの漁獲であったことを考えると現在の352トンが、いかに小さいかお分かりいただけるでしょう。

二十世紀前半は「治水」、後半は「利水」の時代、それぞれの時代の河川事業が、それぞれの時代の漁獲量に影響を与えてきました(付表参照)。この表には、それぞれの時代の漁獲に関係する記録を年平均値で記載しました。二十世紀の漁業は、「治水」と「利水」を目的とする河川事業によって変動をとげてきましたが、その中でも

  1. 利根川低水・高水工事
  2. 横利根川閘門建設
  3. 常陸川改修事業
  4. 常陸川水門建設
  5. 同水門による管理

の五事業が、最も大きな影響を与えました(つづきは本誌をお読みください)

霞ヶ浦 歴史散歩❹ 今昔 小川の河岸(かし)

葦舟世界大会、バズった件

コラム ワカサギ(西谷篤彦)

なが~い歴史、生き物アカデミー

第5回野草キッチン〜木の葉っぱを食べる~

カヌークラブから

(本誌をお読みください)